南日本新聞
みなみにっぽんしんぶん
2014(平成26)年に南日本新聞より頂いた資料によると、題字は、1947(昭和22)年当時、広告部嘱託として広告図案を描いていた四本文雄さんのデザインを、広告部図案課長・中野恒利さんが少し手を入れたものだそうです。題号は、鮮明さを出すために変形隷書を用いたとのこと。地紋には、桜島やビル群(南日本新聞本社を含む)が描かれています。
過去に改題している
1882(明治15)年の創刊は「鹿児島新聞」でしたが、紆余曲折を経て1946(昭和21)年に「南日本新聞」へと改題したそうです。
改題当初は今とは違う題字だった
「南日本新聞」に改題した1946(昭和21)年、題字の制作を鹿児島県鹿児島市草牟田町在住の日本画家・丸田竹濤さんに依頼。丸田さんは1週間思案したのち、明るい希望を込めた題字を仕上げたそうです。題号は、顔真卿の「争座位帖」から採った草書体を用い、地紋には、新日本を象徴する「朝日」、桜島の噴煙を表す「雲」、錦江湾の「波」が描かれました。
玄人受けはするものの…
格式高く玄人受けする題字だったものの、草書のくずしが戦後の大衆の感覚に合わず評判は芳しくなかったようです。苦情が販売部方面から出始めたことから、本社で再検討し、題字を改めることに。翌年1947(昭和22)年、近代的に改めたことにより販売部方面の不満はなくなり、現在に至るまで使用が続いているそうです。